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福岡高等裁判所 平成4年(ネ)366号 判決

控訴人

久保節男

久保君子

右両名訴訟代理人弁護士

伊藤祐二

村上與吉

被控訴人

右代表者法務大臣

三ケ月章

右指定代理人

菊川秀子

外六名

被控訴人

宮崎県

右代表者知事

松形祐堯

右訴訟代理人弁護士

殿所哲

右指定代理人

永野明徳

外七名

主文

一  本件控訴をいずれも棄却する。

二  控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人らは、控訴人らそれぞれに対し、連帯して二〇〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年七月一四日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  控訴の趣旨に対する答弁

主文と同旨及び仮執行免脱宣言の申立て。

第二  当事者の主張

当事者双方の主張は、原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。ただし、原判決四枚目表一二、一三行目の「利用導線」を「利用動線」と訂正する。

第三  証拠〈省略〉

理由

一本件事故現場の状況等

本件事故現場の状況等についての事実認定は、原判決の理由の一に記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、原判決一二枚目表七行目の「傾斜が急で足場が悪い上」を「大小の石が散在している状態の傾斜地で足場が悪い上」と改める。

二本件事故の態様

1  啓明が、昭和六〇年六月三〇日午後三時ごろ、本件遊歩道から九メートル前後南へ下った地点において、熱湯の溜まった穴に転落し、ほぼ全身熱傷の傷害を負い、同年七月一三日に死亡したことは、当事者間に争いがない。

2  〈書証番号略〉によれば、啓明が転落した穴は長径約一二〇センチメートル、短径約七八センチメートルの楕円形で、底に深さ二〇ないし五〇センチメートルの熱湯が溜まっていたこと、啓明は、右事故後に自力で穴から脱出し、遊歩道まで這い上がったところを通りかかった二名の観光客に発見されて救助されたことが認められる。

ところで、啓明が右穴に転落した具体的態様について、控訴人らは、啓明が事故現場付近にあった岩に腰掛けて休息していたところ、突然地盤が陥没したため熱湯の溜まった地下空洞に転落したものと主張するのに対し、被控訴人らは、同人が事故現場の噴気現象を直近で観察しようとしてバランスを崩し、硫気孔内に転落したものと推測される旨主張するので、この点を以下に検討する。

3  〈書証番号略〉によれば、啓明が事故後に収容された国立南九州中央病院の医師具志堅隆作成の死亡診断書(〈書証番号略〉)には、事故態様について「(休もうとして腰掛けたところ、)腰掛けた岩が突然崩れて、熱湯が溜まっていた穴に転落した」との記載(括弧内は〈書証番号略〉の記載)があり、具志堅医師は、右の記載は入院中の啓明から直接に聞いたものであり、入院当初に同人は「突然岩が崩れてバランスを崩して穴に落ちた」という程度のことを言っていたが、入院三日目ごろの症状が落ち着いてから更に「腰掛けた岩が崩れた」ということを同医師に述べた旨及び啓明に切り傷等の外傷が全くなく、熱湯が浅かったのに首から下全部に熱傷を負っていることからしても、立ったままバランスを崩して落ちたのではなく、腰掛けていて落ちたと考えられる旨を、控訴人久保節男及び控訴人ら訴訟代理人宛の書簡等で述べていることが認められる。

また、〈書証番号略〉によれば、啓明の勤務先である球磨農業改良普及所長が作成した事故顛末書(昭和六〇年七月八日付け)にも、啓明が主治医に「休憩するため腰掛けた石が突然陥没して火傷を受けた」と話した旨の記載があり、啓明の母である控訴人久保君子は、原審における本人尋問で、事故当日、前記病院で啓明に面会した際に、同人が「石に腰掛けたら急に崩れて落ちた」とのことを述べた旨供述している。

4  右の点について、〈書証番号略〉によれば、えびの警察署司法巡査東別府則雄作成の電話発信用紙には、同巡査が事故の翌日に具志堅医師に電話をしたところ、同医師により、啓明は「噴気孔を見ていたらバランスを崩して落ちた」と話していた旨の回答を得たとの記載があり、これに基づいて捜査報告書が作成されていることが認められるが、〈書証番号略〉によれば、同医師が警察からの照会の電話を受けた時点では、前記入院当初に啓明から聞いた事故態様に基づいて返答をしたため、「腰掛けていた岩」が崩れたという点、すなわち啓明が座った状態から転落したということは警察に述べていないことが認められるから、電話をした警察官が、事故態様を右電話発信用紙に記載されたように理解したとしてもあながち不可解なことではないと考えられる。

また、啓明が事故時に腰を掛けたという岩又は石の存在について、〈書証番号略〉の捜査報告書にはそのような岩が空洞内又はその近辺にあったとの記載はなく(むしろ、同報告書添付図面の空洞内の状況では、空洞内に大きな石はなかったようにもみられる。)、また、当審における証人坂之下旭の証言中には、同証人は、林野庁の保養所管理人から、啓明の座っていたとみられる石が空洞から沢までの斜面の途中にあり、危ないので下の沢まで落としたと聞いた旨述べる部分があるが、右証言は伝聞によるものであり、右保養所管理人が右のように述べた根拠も明らかでないので、直ちに採用することはできないが、〈書証番号略〉に添付された写真、〈書証番号略〉の各写真によれば、本件現場はもともと大小の石が散在している場所であり、事故直後の空洞内に溜まっていた熱湯は濁っていて、その中にどの程度の石があるのかを見分けることは極めて困難な状況であったものと認められることを考慮すると、啓明が腰掛けたという石等が具体的に特定できなくても、そのことから直ちに、前記具志堅医師らが啓明から直接聞いたとする事故態様の可能性を否定することはできないというべきである。

5  以上に述べたことに、本件全証拠によっても、具志堅医師が前記死亡診断書等にことさら虚偽の事実を記載するような理由を窺うことはできないこと及び前記啓明の負った熱傷等の状況が同医師の記載する転落の状況により符合すると考えられることを考慮すると、少なくとも、啓明は、立った状態から穴に落ちたのではなく、本件事故現場で石に腰を掛けたところ、その石が突然崩れたため、熱湯の溜まっていた地下の空洞に転落したと認めるのが相当である。

6  もっとも、本件事故態様に関して、更に問題となるのは、啓明が転落する前に、既に事故現場にはある程度の開口部を持つ噴気孔が存在し、啓明は、これを観察するために現場に近寄ったのか、それとも、右のような噴気孔は存在せず、啓明は単に休息するために現場の石に腰掛けたのかという点である。

右の点に関して、〈書証番号略〉によれば、前記捜査報告書には、啓明が転落した噴気孔が図示されているが、その図には、噴気孔の開口部のうちの約三分の一が「陥没したと思われる部分」とされており、現場を検分した警察官は、当時の噴気孔の状況からみて、開口部の全部が本件事故時に陥没したのではなく、その約三分の二は事故前から開いていたと判断していたことが認められる。

そして、いずれも事故の翌日である昭和六〇年七月一日に右噴気孔を撮影した写真である〈書証番号略〉の添付写真及び〈書証番号略〉によれば、右噴気孔には開口部の縁が鋭く一見して地表が陥没したとみられる部分と、そうでない部分があったことが認められる。

右に述べたところに、原審証人杉元克己の証言によれば、財団法人自然公園美化管理財団えびの支部に勤務する同証人は、警察官の応援要請を受けて事故現場に急行した際、遊歩道で仰向けになっていた啓明が、警察官に対して「そこで煙が出てたので、行ったら落ちた」と述べたのを聞いたことが認められること、〈書証番号略〉によれば、具志堅医師も、控訴人ら訴訟代理人の照会に対する回答で、啓明が事故直前に噴気孔を見ていたことを前提とした質問に、その噴気孔が穴とは聞いてはいないが、啓明は「白い湯気がいくつか出ていた噴気孔」と言っていたとの記載をしていること及び本件現場付近が、前記のとおり足場が悪い傾斜地で、単に休息するために立ち寄るような場所とも思われないことなどを考慮すると、どの程度の大きさかは別として、本件事故以前に既に右噴気孔には開口部が存在し、そこから噴気が出ていたことは事実と考えられ、啓明は、それを観察するために近寄り、付近の石に腰掛けたところ、その石が突然崩れたために地下に生じていた空洞に転落したと考えるのが最も合理的であると解される。

そして、他に、以上の認定判断を左右するに足りる証拠はない。

三被控訴人らの責任原因

1  国家賠償法二条一項にいう公の営造物の設置管理の瑕疵とは、公の営造物がその設置管理上通常備えるべき安全性を欠く場合をいい、その瑕疵の有無は、当該営造物の構造、通常の用法、場所的環境及び利用状況等の諸般の事情を総合考慮して具体的個別的に判断すべきものである。そして、本件遊歩道が、その本来の用法である歩行者がその上を通行する道路として使用される限りにおいて、物理的構造及び機能面の瑕疵が存在しなかったことは、弁論の全趣旨から明らかであるから、本件で検討すべき公の営造物の設置管理の瑕疵とは、啓明が本件遊歩道から外れて本件現場に行き、前記のような事故に遭遇したことについて、本件遊歩道の設置管理者である被控訴人宮崎県に、右のような事故の発生を予測し、これを防止する措置を講ずるべき義務があったか否かという点である。

2  原審証人杉元克己、同安田達行、同熨斗新八郎の各証言及び原審における検証の結果によれば、本件遊歩道は、以前は韓国岳の登山者等による踏み分け道として存在していたものを、昭和三六年ごろに一般観光客も増加してきたため、県の事業として石ころを除け、縁石を設けて歩道を歩きやすく、かつ、明確にし、その後、昭和五三年ごろにアスファルト舗装をしたものであること、現場付近一帯は、随所で噴気現象が見られるが、一般観光客は主に本件事故現場の北ないし北東にある小地獄及び大地獄の周辺を訪れることが多く、本件遊歩道の南側斜面は足場が悪く、特に観光の対象となるようなものもないため、一般観光客が立ち入ることは少ないこと、現場付近の噴気孔は、絶えず場所が変化しており、噴気の程度も季節や天候によって異なり、大地獄や小地獄のように恒常的かつ大規模な噴気孔はともかく、それ以外の大小様々な噴気孔について、危険箇所を具体的に特定することは極めて困難であることが認められる。

また、現場付近一帯において、雨後等に地中に空洞が生じてそこに熱湯が溜まっているため、地表が陥没して空洞に転落する危険性があるということについては、原審証人足利武三(写真家)、同杉元克己(財団法人自然公園美化管理財団勤務)、同安田達行(環境庁えびの管理官事務所駐在の国立公園管理官)及び当審証人坂之下旭(宮崎大学農学部教授)らの、専門家や現地を長年訪れている者等も、本件事故が起きるまで知らなかった旨の証言をしており、右各証言によれば、右のような事故発生の具体的危険性の存在については、本件事故当時、一般的には余り認識されていなかったことが推認される。

なお、〈書証番号略〉、原審証人山中孝一、同杉元克己、同安田達行及び当審証人坂之下旭の各証言によれば、本件事故現場がある硫黄山で、昭和五一年に新婚旅行中の県外女性が噴気孔に転落して熱傷を負った事故があったことが認められるが、事故の発生した場所や転落の態様等が不明であり、この事故の存在が直ちに本件事故発生の危険性の有無に関する認識等の点に影響を及ぼすものとは考えられない。

3 一般に、本件現場のような自然公園は、自然をあるがままの状態で公園として指定されたものであり、自然の営みの中に危険性が存在するとしても、その危険は訪れる利用者において自主的に回避することが原則として予定されているというべきである。その見地からすると、本件遊歩道の設置目的は、単に現場付近一帯を散策したり、登山したりする者の利便のため、安全な順路を示すとともに歩行を容易にすることにあり、利用者が遊歩道外に出ることについて、全面的に禁止し或いは許容するというような意味はないのであって、遊歩道外の場所への立入については、原則として利用客の自主的判断と責任に委ねられているものと解される。

もっとも、遊歩道が整備されることによって、噴気現象等について知識、経験の少ない一般観光客の来訪が増大することは容易に考えられるから、具体的に事故発生の危険性が予測される場所については、その旨を明確にして利用客の立入りを禁止する措置を採ることが遊歩道設置管理者に要求されると解され、本件現場付近についても、四箇所に熱気や噴気の危険性を指摘し、立入りを禁止する注意看板が本件事故当時から存在していたことは前記一で引用の事実関係のとおりである。

4 そこで、問題は、本件事故現場についても、本件のような態様の事故の発生を防止するため、被控訴人宮崎県において、柵を設けたり、注意看板を設置するなどの措置を採ることが、本件遊歩道の設置管理者として要求されていたといえるかどうかにあるが、既に認定したとおり、本件事故現場は、比較的観光客が立ち入ることの少ない場所であり、付近一帯は硫黄分を含んだ噴気のため地表が淡黄白色を呈しているが、活発な噴気現象が固定的、恒常的に起きている場所ではなく、しかも、現場付近一帯に散在する噴気孔は、噴気の強さや噴気孔の位置が絶えず変化していること及び本件事故のように地中に熱気の溜まった空洞があり、地表が陥没して転落する危険性についても、当時、一般にはそれほど知られていなかったと考えられることなどを考慮すると、被控訴人宮崎県には、本件事故現場について、本件のような態様の事故発生の危険性を具体的に予見することはできなかったと認められる。したがって、被控訴人宮崎県が、本件事故現場について、本件遊歩道利用者の立入りを禁止し、或いは陥没事故の危険性を警告するなど事故発生の防止措置を当時採っていなかったことをもって、直ちに本件遊歩道の設置管理の瑕疵があったとはいえないのであり、本件事故は、遊歩道利用者の自主的判断と責任において行動すべき地域において、通常人の予想外の事態が生じたことによってもたらされたものというほかはない。

そうすると、被控訴人宮崎県に対し、国家賠償法二条一項に基づき損害賠償を求める控訴人らの本件請求は理由がない。

5  また、被控訴人宮崎県に本件遊歩道の設置管理の瑕疵があったことを前提として、費用負担者としての責任を追及する被控訴人国に対する本件請求も理由がないことに帰する。

四よって、控訴人らの請求を棄却した原判決は相当であり、本件控訴はいずれも理由がないから棄却することとし、控訴費用の負担について民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官権藤義臣 裁判官石井義明 裁判官寺尾洋)

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